担い手が三人になった郷土芸能を、一年かけて記録することにした。初日は、撮らなかった。
集落に着いたのは朝早くだった。案内してくれた方に連れられて公民館に入ると、舞の稽古がはじまるところだった。カメラを出そうとして、やめた。まず、座って見せてもらうことにした。(以下サンプル本文)
映像の仕事をしていると、つい「良い画(え)」を先に探してしまう。けれど地域を記録する仕事では、順番が逆なのだと思う。何を撮るかより前に、なぜここに通うのか、誰の何を残したいのか——それが定まらないと、カメラはただの機械になってしまう。
カメラを構える前にすべきことがある。その当たり前を、あらためて教わった一日だった。
撮らない、という選択
初日に撮らなかったのには理由がある。信頼が、映像より先にあるからだ。何度も足を運び、名前を覚えてもらい、稽古のあとに一緒にお茶を飲む。そうやって少しずつ、カメラがそこに在ることが自然になっていく。(サンプル本文)
一年という時間をかけるのは、効率だけを考えれば割に合わないかもしれない。それでも、その土地に暮らし、腰を据えて通うからこそ撮れる表情がある。数を撮ることより、ひとつを深く見つめること。心録がやりたいのは、そういう記録だ。(サンプル本文)
次に訪ねるのは、来月の祭りの日。今度はカメラを持っていく。
